目次
前回の続き。ヘンゼルとグレーテルの物語から、肥大化した母性と不在の父性について考察していく。
肥大化した母性
肥大化した母性は、すべてを飲み込みコントロールする。
生命の源である母は、生み出し、包含し、呑み込み、消滅させるという、生と死を操る存在だ。
グレートマザーの最大の犠牲者は、息子たちだ。
彼らは、男であることを根こそぎ否定される。
できない息子。
かわいいぼくちゃん。
傷つきやすく弱い男。
男たちは、グレートマザーたちに世話を受けることで、徐々に自分のパワーを失っていく。
忘れたくないのは、グレートマザーの力が、このように肥大化するとき、そこには、不在の男性(夫、または父親)が存在するということだ。
彼女たちもまた、傷つき不在になった男たちの穴を埋めようと、躍起になっているんだろう。
女性たちの多くが「大切なときに男はいない」という共通した思い込みを持っていることが、そのことを表している。
これは、個人の痛みというよりも、集合意識としての女性の痛みなのだと思う。
永遠の少年・母親のいい娘
こうしてグレートマザーの過干渉によって、パワーを奪われる息子たちは、自分を心理的に支えてはくれない不在の父親という透明人間を模範としながら、同一化して、成長していく。
結果、息子たちは成熟した男にはなれず、傷ついた息子のまま大人になる。
永遠の少年という、無意識の元型がそれを示している。
永遠の少年は、決してコミットしない。
楽しそうなものを次から次に渡り歩きながら、作り上げることをしない。
しないのではなく、できないというのが本当のところかもしれない。
自分自身に、確かな信頼とそれによるアイデンティティ(=健全な自我)がないことが、このことを無意識に生じさせる。
結果的に、この永遠の少年たちは、自分が作り上げた家庭の中でも不在となる。
そして、それを補うかのように、彼の妻の母性は肥大化し、子どもたちを飲み込んでいく。
肥大化した母性は、子どもたちを餌食にして、自分の内側にぽっかり空いた穴を満たそうとするのだ。
だが、どれだけ子どもを飲み込んでも、その穴は満たされることはない。
彼女自身が、健全な自我を取り戻し、自分を自分の愛で満たすまでは。
そして、それが叶えられるまで、息子は傷ついた息子のままの永遠の少年として生き、娘は、母親のいい娘になって、他者に合わせて返事をし、自分の意見を持たなくなる。
時に、母親に反抗したり、母親を助けようとしたりもするが、それは、すべてパワーを奪われ、また、奪われることを許してきたための「アイデンティティの欠如」から発生している防衛なので、本当の自分の選択とは言えない。
防衛しているうちは、結果的には何者かにコントロールされていて、自分では何一つ選んでいないのだ。
このようにして、傷ついた息子、母親のいい娘たちの人生は、不在の父親と肥大化した母性によって、汚染されていく。
一見、愛のように見えるものに覆われて、それが次第に肌に馴染んでいき、子どもたちは、そのやり方を体で記憶する。
傷ついた息子は、不在の父性を自然と生きるようになり、母親のいい娘は肥大化した母性を発揮するだろう。
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