ヘンゼルとグレーテルの物語1
おとぎ話が、単なる物語ではなくて、人の心の元型について語られているというのは、最近ではよく知られている事実かもしれない。
日本では、まさに河合隼雄氏がそのことの研究を深め、世に伝えた第一人者だと言える。
誰もが知っている有名な童話、ヘンゼルとグレーテルについての河合隼雄氏の解説も、とても素晴らしい。
以下、氏の解説を元に、インナーチャイルドや父性や母性のエネルギーについて、ハートエデュケーションセンターの学びに沿って書いてみたいと思う。
不在の男性たち
ヘンゼルとグレーテルという物語の中で語られていることは、インナーチャイルドの世界とも深く関係があり、典型的な夫婦のパターン、親子のパターンが、氏の解説から鮮明に浮かび上がってくる。
これまで、多くの男性たちは家庭の中で不在であった。
イクメンという言葉が出始め、家事も当然のようにこなすのがクールだと意識され始めてから、男性たちは古臭い男性像を卒業し、家庭の中に戻り始めている。
1世代でどれほど世の父親たちに変化があるかは、パートナーを持つ女性の場合、自分の父とパートナーの違いを見れば一目瞭然というかもしれない。
だけど、長い間、男性たちは、やはり、家の中で不在だった。
それは、物理的、精神的という両方の側面があるが、状況としてより複雑な事態を引き起こすのは、精神的不在の場合だ。
目の前に父親がいないという物理的不在は、「父はいない」というシンプルな事実として受け止めることができる。
「父はいない、だから、父に愛されていない」という余計な思い込みが、必ず発生するわけではない(もちろん、発生することもある。)。
だけども「父親は物理的には存在するが、精神的には不在で実体がない。」という場合、むしろ、子どもたちは混乱してしまう。
「父はいるが、私は無視されている、つまり、私は愛されてない。」という思い込みは、むしろ、精神的不在の場合に生じやすい。
では、どうして、男性たちはこんなにも“不在”だったんだろう。
現代においても、男性たちがとても生きづらいというのは明らかな事実だ。
戦争や狩りで戦って勝利し、命からがら戦利品を家に持って帰り、家族を養わなければならなかったのは、いつの時代も変わらないのだろう。
「24時間戦えますか」なんていう懐かしいキャッチコピーもあったけれど、サラリーマンと呼ばれる男性たちだって、毎日満員電車に揺られて、企業戦士として戦って、その戦利品という給与を持って帰らなければいけない。
どれだけ傷ついても、傷つけても、そんなことは気にしてはいられない。
いつの時代も、多くの男性たちは、自分の感覚を麻痺させながら、なるべくその痛みや苦しみを感じないようにして、戦いを乗り越えてきたのだろう。
今でも、感情を扱うワークに、男性が参加することは非常に珍しいという事実は、残念だけれど、このことを如実に示していると思う。
世代間連鎖する痛み
ところで、「戦争」と一言で語っても、そこには、どんな一人の男の人生があったのか、また、その妻や子どもたちにはどんなことが起こっていたのか、簡単には推測できない。
「戦争は辛かった」「二度と起こしてはいけない」と誰もが語っているけれど、戦争の影響が、今この瞬間に、高層ビルが立ち並び、数分に1本の電車がやってくるこの現代に、ありありと存在していることを、ほとんどの人が知らない。
だけども、家族の座(ファミリーコンステレーション)というワークを体験すると、そのことは明確に理解できる。
戦争は一人の男の人生を壊し、家族の人生も汚染していった。
つまり、日本人の命は、戦争によって、目に見えない形で二度目、三度目の破壊を受けてきた。
第二次世界大戦だけではなくて、それ以前のすべての戦争も含むだろう。
戦争だけじゃない。
飢饉や地震など、その時代、その時代においての様々な不幸が、一人の人間の人生に多大な影響を与え、それによって家族が犠牲になり、それが無意識に家系にゆずりわたされてきたのだ。
恐れの感情が遺伝することが証明されたマウスの実験は有名だ。
不幸な出来事が、ある世代で生じ、それにまつわる感情が未解決の場合、下の世代に、譲り渡されてしまうのだ。
そして、それは、完全に無意識の状態で起こっている。
いつも、ここが問題だ。
それは、意識的ではなくて、無意識的に生じているのだ。
伝統的な愛の勘違い・それを超える新人類
さて、その大きな犠牲となった男たちは、それでもなんとかかんとか家庭を守ろうとしてきた。
感覚を麻痺させたり、恐怖を抑圧し、無口になったり、暴力的になったりして、家族は、さらに犠牲となった。
つまり、それらは、元々は、男性たちの愛によって生じてしまった。
間違った形の愛だったかもしれないけれど。
そんな無意識の負の連鎖が続く中でも、やはり希望はある。
無意識の影響をなんとか最小限に食い止めてきた家系に生まれたのか、いや、むしろ、家系のカルマとは無関係に、時代の変化がそうさせたのか、新しい世代たちが、新しい生き方を提案し始めた。
持続可能社会を目指して、声をあげる若者たち。
仕事をすぐに辞めると言われる若い世代だけれど、それも、当然の流れなのかもしれない。
無感覚で、支配的で、暴力的な男性であることは、全くクールではない、一つの会社に縛られて、自分を麻痺させて無気力で生きていくのは、自分たちにとって全くハッピーではないと、男性たちが気づきはじめている。
男性たちは、少しずつ本当の自分の感覚を取り戻しながら、不在という立場を離れ、家庭に戻りつつあるのだろう。
だが、それも、まだ、全体でみれば、少数派なのかもしれない。
不在を支えるもの
多くの場合、男性たちはまだ物理的、精神的に家庭に「不在」で、それ以外の家族たちは、そのバランスを取ろうとして生きている。
いや、このことを語ろうとすると、むしろ男性の「不在」そのものも、何かのバランスを取っているのだと言える。
それは、何だろうか。
男性不在というエネルギー欠如の傍で、それを維持しバランスしているのは、肥大化した母性だ。
生み出し、飲み込む、生と死を司るグレートマザーという心理の元型がそれだ。
女こそが生命の源で、男も女も女から生まれるという生命の原理に従えば、不在の男性よりも前に、この肥大化した母性があったと言える。
つまり、息子の力を飲み込み、ないものにしてきたからこそ、男性の不在が生じてきたのだ。
そして、今も昔も、女性たちは、このグレートマザーに足元をどっぷり囚われてる。
不在の父性(男性)と同じく、女性にとってもそれは、完全に無意識の状態で起こっている。
セラピーの過程で、女性たちが、肥大化した母性に気がついていくとき、男性たちが不在の父性に気がついていくとき、その人を作り上げていた無意識の方程式は、音を立てて崩れ去っていく。
2020.5.20
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